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2015年 右手首の痛みがなかなか治らない [ファーマシーの疾病]

2015.12.28 右手首の痛みがなかなか治らない

 年を食うと筋肉・関節が衰え、ちょっとした負荷が掛かっただけでも、それに耐えられず、炎症を起こし、痛むようになる。
 ところが、四十肩は40歳から付き合っているが、こちらはここ1、2年軽くなっているから不思議なものだ。
 今回は右手首の炎症であるが、過去に患った筋肉・関節の炎症をこの日記から紐解いてみた。
<2012.9.6&2013.6.14 あばら骨の打撲(64歳)>
  これは、胸をフェンスなどに強く押し付けたがために骨が痛くなったものである。完治するのに何か月も掛かった。2回もやったから、その後は気をつけている。
<2014.7.30 右足首の軽い捻挫(65歳)>
 これは、当店新聞・チラシのポスティングを自転車で行うに当たり、乗ったり降りたりを繰り返し、そのとき何度も右足で地面を蹴るから、急いでいるときは強く蹴って右足首に負荷が掛かりすぎ、足首を痛めるのである。
 これは、50歳前後に幾度か既に経験しており、地面を強く蹴らないようにしてきたが、今回、ほんのちょっと気が焦ったのであろう、足首に鈍痛がするようになり、これも完治にかなりの日数を要した。
<2014.10.18 上腕の筋肉痛(66歳)>
 これは、上腕筋肉の軽い肉離れであるが、原因不明である。これも完治に数か月を要した。
<2015.1.4 右手人差し指の打撲(66歳)>
 テントをたたむときにパイプで指先が強く挟まったもので、腫れあがるほどになった。指先が曲がってしまったのはいいとして、一年経っても指に力が掛かると鈍痛がする。
 
 さて、今回の疾患は次のとおり。
<2015.12.6 右手首の炎症(67歳)>
 12月6日に休耕田に半分残っていたコスモスや雑草の引き抜きや刈り取りを行った。鎌を右手に持ち、けっこう力任せに作業。そのときは、これで手首に炎症が起きるなんてことは予想だにしなかった。
 ところが、である。翌日になって、開店時に重いシャッターを上げるときに痛むのである。これは、その後、1か月近くになるが、今でも続いている。
 最初は原因がわからなかったが、前日の鎌での2時間作業しか思い当たらない。11月16日にも同様に2時間ほど作業したが、その後はどってことなく、不思議なものである。
 まあこれは日にち薬でそのうち治るだろうと高を括っていたが、一向によくならない。
 そして、12月26日に娘のベッドの搬出入の力仕事をした。力の加わり方によってはかなり痛む。そして、違和感が随分長く残った。炎症を起こしている箇所に過剰な力学的荷重が掛かれば炎症が悪化するのは必然。
 そこで、寒い時期であるから、数時間後のことであったが、右手首にサポーターをはめることにした。はめた瞬間に“暖か~い”と、とても心地好く感ずる。身体が患部を温めることを欲しているのであろう。日にち薬でしか治らないであろうが、温めることによって、きっと回復が早いであろう。そんなふうに思っている。
 こうしてみると、概ね高齢者となってからは、ちょっとしたことで筋肉・関節が痛むようになった。高齢者となってからは長時間にわたっての目一杯の力仕事は絶対するなと言われるが、瞬発的な強い力なり、繰り返しの強い負荷もまた避けねばならないことを感じた次第である。
<右手首痛のその後>
(1月11日)
 その後は右手首に負荷が掛からないようにしており、半月経って少々改善してきた。
(1月25日)
 また半月経ち、日にち薬で回復に向かっているが、まだ完治せず。そろそろ柿の木の剪定をせねばならないが、強く握ると痛むから、その作業は当分見合わせるしかない。
(2月1日)
 2、3日前には店の重いシャッターを上げても痛みを感じなくなり、昨日、少々手首に負担がかかる農作業を4時間やったが、翌朝もシャッターが無事に上げられ、完治を確認。
 でも、しばらくは右手首をかばってあげよう。
(2月9日)
 2月7日に果樹の剪定を行った。手首をかばい、鋏の使用を少なくし、ノコギリを多用した。
 当日は大丈夫、翌日にシャッターを上げるとき、多少違和感があった。そして今日、少々痛みを感じた。
 まだ完治していなかったのである。

<2016年11月6日 右手首の炎症(68歳)>
 センチュウ防除のためビッチュウでの畑起こしを頑張りすぎ、右手首が痛くなった。尾を引くかと心配であったが、翌日の草刈で軽く鈍痛がしただけで、その後は何ともないが大事にしよう。
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日本の農業はなぜ没落したのか [ファーマー雑記]

 今さらこんなことを言おうたって既に言い尽くされているのであるからして無意味であろうが、西欧文化論から日本の農業を眺めてみると、とても興味深いものがあるから取り上げることとしたい。
 先ずは、西欧文化論の権威者である元東大教授、木村尚三郎氏の著「西欧文明の原像」(昭和49年発刊)から、少々長くなるが抜粋して引用する。なお、本書が発刊された時代はベトナム戦争末期で、今から40年以上前のことであるから、その当時の世相を頭に置いて読んでいただきたい。

 (日本においてもヨーロッパにおいても)いまや国家それ自体が、事実上国内最大の、そして真の経済主体として立ちあらわれており、官界と産業界の密接な連携と一体化、官僚の産業人化と産業人の官僚化は時とともに露となりつつある。いわゆる混合経済体制(古典的資本主義体制と社会主義体制の中間)による国家資本主義の進展がこれであるが、そこではいまや私企業も国家組織のうちに組み込まれ、国家権力は分有している。
 国家はもはや、軍隊組織的構成をとりえず、新たに有機的多元化の原理に立たざるをえない。…一人の支配者に代わって多くの支配者が登場し、しかもその数が刻一刻とふえ、一方では支配者であると同時に、他方では被支配者である関係、網の目が広がりつつあるのが、現代の現代たるゆえんであるといえよう。
 「土離れ」しつつある現代において、一方で土への回帰、農業をあくまでも産業社会の基礎に据えるべき必要性が主張されはじめている。産業社会は人間の個性化と土地の脱個性化を、農業社会は土地の個性化と人間の脱個性化をもたらす。そのかね合いをつけてゆくのはこれからの課題であるが、人はたしかに、大地にむかい、あるいは大地に憩うとき、理屈ぬきで謙虚さと互いの共感と連帯をとりもどす。
 その意味で、いかに産業化が進行しようとも農業的人間類型は捨て去られてはならない。現実の産業社会の発展が、ヨーロッパのばあい、地域主義の漸次的拡大という形をとっているのは、まことに妥当で自然な姿であるといえよう。…
…(ヨーロッパにおいて)現代社会とそれ以前の社会との特徴的な相違の一つであるが、現代社会は相互依存関係の拡充とともに、これまでばらばらであまり関係のなかった諸地域を、広い範囲にわたって互いに結びつけることによって、各人の個性だけではなく、地域の個性をも積極的にきわ立たせるにいたった。
 それはけっして、画一的産業化の進展にともなって、地方・地域の古い体質がめだつようになったということではない。科学技術はたしかに普遍的な性格をもち、たとえば欧米にも日本にも、またアフリカの奥地にも同様な原子力利用の工場建設が可能である。しかしこのように産業社会の普遍的形式がグローバルな規模で整えられれば整えられるほど、あらわとなってくるのが、この形式をささえる実質の相違、すなわち各地方、各地域ごとの自然観と人間観の相違であり、自然と人間、人間と人間の関係についての価値観、世界観が、地方・地域によって、いかにさまざまの豊かなバラエティに富んでいるかということであった。
 この地方的、地域的な個性は、自然的諸条件や言語、生活様式、歴史的慣行などによってささえられ、相互の交流、影響は今後いよいよ活発となるとしても、人間がそれぞれ地上に定住生活ないしは一定地域内生活をつづけるかぎり、消滅することはない。文化はほんらい地方的、地域的な性格のものであり、各地方、各地域はみずからに固有な文化を他との対比において積極的に自覚しつつ協力しあう必要がある。
 このことは、産業化、相互依存化の増大とともに異なる文化と文化の摩擦が大きな問題としてクローズアップされることによって、さいきんようやく強く意識されるにいたった。日本、アジア、アフリカ諸地域、イスラム圏、ヨーロッパ、アメリカなどの地域文化圏の個性・体質、ないしは、さらにそれらの内部の地方的個性をあきらかにすることの重要性が、今日切実な問題となっているゆえんである。
 それと同時に、農業もまた改めて産業社会それ自身によって見なおされるときがくるだろう。それはたんに世界的な食糧不足の状況から、自衛手段として地域ごと、地方ごとの自給率を高めねばならないという問題ではない。農業こそが文化の地方的・地域的個性をささえるかなめであり、農業を捨て、あるいは無視する産業社会は、結局みずからのことばと心を失い、自滅するのではないかという反省である。
 この点でヨーロッパの産業化は、日本やアメリカのあり方とはちがって、つねに農業を基としながらゆっくりすすめられている。いま、そのことの意味をふかく考えなおすべきときがきている。わが国ではつい先ごろまで、「ヨーロッパは遅れている」ということがしきりにいわれていた。それがいかに皮相で傲慢な偏見であったかは、欧米から教えられたにすぎない科学技術の過度の適用と農業への無関心が、一見進歩のようでありながらも、じつは自然破壊を、そしてもっとおそろしいことに人心と人間性の破壊をひきおこし、世界一不安と焦燥にかられた、世界一猜疑心の強い、そして世界一非礼で無口な、見知らぬ他人には「ありがとう」とも「すみません」ともいわない非人間的人間、つまり人でなしをつくりだしてしまったことからも明らかであろう。(引用ここまで)

 この引用文だけを読むと、木村尚三郎氏はヨーロッパの文化をべたぼめし、日本人をけちょんけちょんにけなしているように思ってしまうが、ヨーロッパ文化には実にえげつない部分もあり、ほめられたものではないことも氏は言っておられる。例えば別のブログ記事「文明の根底には略奪文化がある」で引用したものがそうである。
 でも、こと農業に関してはヨーロッパ各国はしっかりした政策を取っており、それによって何よりも農業を基にした誇り高き地域文化を非農業者皆もが共有し、人間性が破壊されることもなく、不安感や焦燥感を抱くこともない、人心が安定した良き地域社会を形成しているのである。
 そこで、日本の農業者は当然のこと、非農業者も皆が大地に目を向け、農業と地域文化は切っても切れない関係にあり、相互に発展もすれば没落もすることをしっかりと肝に銘じたいところである。特に日本は世界一自然に恵まれ、五穀豊穣、豊葦原瑞穂国とうたわれていたとおり、地域地域の特質を生かせば世界有数の農業国となりうる基盤が整っているのであるからして、それは同時に誇り高き地域文化の構築にもつながるものであり、今一度皆で大地に目を向けたいものである。
 40年前に木村尚三郎氏が指摘されたことに対して今から取り組んでも遅きにあらずであろう。
 これは何も難しいことではないと小生は思う。
 その第一歩は、地域で取れた農産物をその地域の人が意識して食べればよいのである。行ったこともない地域の見たこともない農産物は避けることである。いわゆる「地産地消」であり、古い言葉を持ち出せば「身土不二」である。これは地域内で採れる物を食べていれば健康になれる、という食養から発せられた言葉であり、これを実践していけば、やがて地域に愛着が持て、そして地域文化を愛するようになり、そうなれば第二歩、第三歩へと歩を進める策が自然と湧いてこよう。
 地域農業と地域文化の間には密接な関連性があるということを木村尚三郎氏の著「西欧文明の原像」から教えられたところです。
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お米の味も様々でブランド品もピンからキリまで [ファーマー雑記]

 うちには田んぼが3枚あるが米作をしていない。1枚は万年休耕田であり、2枚はそれぞれ隣の田んぼの方に無償栽培管理をお願いしている。
 よって、米は買うしかない。今までは女房がスーパーで買っていた。でも、最近は管理をお願いした方から1袋いただけ、店のお客さん(専業農家)から2袋購入するようになった。他にいただきものが毎年1、2あって、これで1年分がまかなえ、スーパーで買うことがなくなった。
 すると、米の味にけっこうな差があることが分かってきた。
 一番感じたのは、スーパーで買ったものは新米と表記されたものであってもたいして新米らしくないのだが、地元の方からいただいたり買ったりしたものはちゃんと新米の味がするのである。
 ということは、スーパーは偽りの表記をしているかといえば、そうではない。ちゃんと新米を精米して販売しているのであり、それが特定のブランドであれば、当地であれば「ハツシモ」であるが、「ハツシモの新米」であることは間違いない。
 それがどうしてこんなにも味に差が出るのか。
 今年、その原因が分かった。
 先ずは今年地元の方からいただいたり買ったりした「ハツシモ」。いただいたものは新米であっても昨年に比べイマイチの味であった。原因は、稲刈りされた日にちを知っているが、もう刈るの?というほどにあまりにも早すぎたことだ。専業農家さんから買ったものは、昨年とてもおいしかったし今年もとてもおいしいが、これはきちんと栽培管理され肥料過剰にならないように注意されてもいるし、稲刈りの時期も適切で、自家で籾摺りし、ゆっくりと乾燥されているからであろう。
 農協職員からの情報では、おいしい米を作っている農家は自家で籾摺り乾燥し、自主流通させているとのこと。いいかげんに米を作ってる兼業農家は農協の大型籾摺り乾燥機へ持ち込み、持ち込んだ籾に相当する量の玄米を後日手渡されるなり農協に売り渡すこととなって、手渡される米は誰が作った米か分からないものとなるとのこと。
 さて、今年、元農協職員の義理の従兄弟が嘆いていた。昨年までは稲刈り・脱穀した米をある方に籾摺り乾燥をお願いし、おいしい新米が食べられたが、その方が高齢でやめられたがため農協へ依頼するしかなかった。そしたら、新米がおいしくないものになってしまったとのこと。そして、その原因は米そのものにあるのではなく、農協の大型機械は強制乾燥の度が過ぎるから米の味が落ちるとのことであった。稲刈りシーズンは一度に大量に籾が持ち込まれるから、そうせざるを得ないのが実態とのこと。これじゃ、せっかくのブランド品「ハツシモ」がかわいそうだ。
 そこで、もうひとつ分かったことがある。娘には地元で入手したおいしい米を少しずつ精米して何かのついでに送ってやるのだが、あるとき各地のブランド米小袋の詰め合わせを贈答品としていただき、それを送ったのだが、娘曰く「どれもまずかったわよ」であり、なるほど各地の農協で強制乾燥した米だからなんだ、と悟った次第である。
 さて、今、地元の専業農家の方から買った米を食べ始めたのであるが、昨年同様にうまい。でも、その農家の方がおっしゃるには、今年の米は出来すぎて昨年よりちょっと味が落ちているとのこと。小生や女房には分からないが専門家となると微妙な変化まで分かるらしい。
 ところで、当店のすぐ近くで毎年見かけるのであるが、稲刈り後、今時珍しく昔どおりに稲をハサに掛けて自然乾燥されておられる専業農家の方がおられる。この米はきっと飛び切りうまいだろうなあ、と感じた。義理の従兄弟も、そりゃあうまいに決まっとる、と言っていた。
 飛び切りうまいと言えば、2年前に行ってきた昼神温泉の宿の米。仲居さんが自信をもって紹介してくれたが、地元の特約農家の米である。こんなに飛び切りうまい米は、随分前に妹が送ってくれた現地調達の魚沼産コシヒカリ以上であった。この米のおいしさに惹かれて昨年も同じ宿にいったのだが少々がっかりさせられた。だいぶ味が落ちていたからである。でも、うまいことはうまい。よって、今年も行ったのだが、さらに味が落ち、変哲もない味に落ちていたから、来年はもう行かないことにした。
 魚沼産コシヒカリのほうはその後も妹が送ってくれたが、町村合併であらぬ所まで魚沼になり、また、農協の大型機械による強制乾燥のせいかもしれないが、味ががたんと落ちて、今はもう送ってもらっていない。
 これ以外にも、おいしいと評判の米をいただいたりするが、評判のほどではないものが大半である。
 いろいろと見聞きすると、ほんとにおいしい米は、その土地土地に最も適した品種を選び、栽培途中の水管理を適正に行い、有機肥料で栽培し、そして収穫量を抑え気味にする、といった栽培方法を取り、稲刈り後はハサ掛けにして自然乾燥せねばならないようである。そして、籾のまま保管し、必要の都度、脱穀・精米すれば、いつまでも新米の味が楽しめるようである。
 手を加えれば加えるほど、おいしさが増す米である。こうした米を日本人皆が食べられるようになれば、米の需要もグーンと増し、日本の農業も大発展するのではなかろうか。
 総じて経済的に豊かな日本人である。おいしいものであれば多少高くても買って食べるであろう。
 資本主義経済の本質は、付加価値を付けて価格をアップさせ、経済規模を膨らませることにあるのであって、これによって初めて経済が上昇気流に乗り、景気が良くなるのである。低価格競争に邁進するとなれば、それは下降気流に乗ることになるのであって、最後の最後は価格ゼロとなって地面に激突し総破産するしかないのである。
 これは資本主義経済のイロハだと思うのだが、いかなる業界にあっても、皆さん手抜きして楽をし、低価格で目先の売上だけを目指すという、プロ意識欠如の輩ばかりのようである。これではいつまで経っても景気はよくならない。
 こうしたことからも、飛び切りおいしい米を毎日食って景気をよくしたいものだが、そうした職人技の米は供給量が少ない上に需要が高く、全て行き先が固定化されており、新規の消費者の手に渡ることがない。悔しいかなハサ掛けされた稲を指を加えて見ているしかない。
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