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6.10 夏野菜全部に万田酵素を噴霧 [ファーマー雑記]

 万田酵素の効能については、2011.5.21に「酵素=発酵生成物は植物にもヒトにも良い」と題して記事にした。
 これが夏野菜にどの程度の効果があるのか、はっきりはしないが、時間があったら噴霧することにしている。最初に買ったものがまだまだ残っており、滅多に使わないから使い切るのに少なくとも数年はかかろう。
<2016年の記録>
(6月10日)
 小さなメロン苗を定植するに当たり、万田酵素をかけてやると良かろうと思い、万田酵素おおむね500倍散を小型噴霧器に満杯作り、ほぼ全部の夏野菜に噴霧。

<2015年の記録>
(6月28日)
 万田酵素500倍散を霧吹きで噴霧。対象物はいずれも小さいもので、キュウリ、メロン、オクラ、十六豆の苗、キャベツの苗、イチョウ芋の芽吹いた株である。
 なお、余ったものを白ナス(できの悪い西の畝)の滋養強壮にと噴霧しておいた。

<2014年の記録>
 今年も、4月に霧吹き器で幼苗に噴霧し、5月には小型噴霧器で苗や定植したものに噴霧した。
 そして、今朝は昨日の丸一日農作業の疲れで遅くまで寝ていたから、朝の百姓仕事は1時間ほどしか取れず、万田酵素を夏野菜全部に噴霧することにした。
 説明書には苗は1000倍散、生長したものには500倍散とあるが、両方に使うからその中間程度の濃さにして噴霧。
 さて、メロンの苗がちっとも大きくなってくれない。万田酵素が効いてくれるといいのだが、そううまくはいかんだろうなあ。
(後日追記:効いたかどうかは不明)

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5.9 たかが種蒔き、されど種蒔き [ファーマー雑記]

 種蒔きに失敗し、蒔き直しすることが時々ある。
 それが、今年は相次いで3つも失敗した。
 一つはニンジンである。ニンジンは基本的に覆土してはならない。うちで栽培しているものは固定種(種を取って繰り返し栽培できる種)であり、種袋には「覆土せず籾殻を薄く乗せるだけ」と書かれている。よって、そのようにしているのだが、春だと発芽まで2週間やそこらかかり、毎日のように水やりせねばならぬ。今年は大きいジョウロで水やりしたところ、籾殻は移動するし流れ落ちるし、そのとき種も流れ落ちたのだろう。その結果、疎らにしか芽吹かなかった。
 二つ目は枝豆である。植え付け場所を予定変更したから、当初用意したポット苗では足りず、追加でポット苗を作ることにした。当初のポットには培養土を使ったのだが、追加のポットには面倒だから畑土にした。そしたら、いっこうに芽吹かない。ポットを空けてみると豆が全部腐っていた。粘土質の多い畑土だと空気が通らず、酸欠になったからである。
 三つ目はゴーヤである。培養土を敷いて直蒔きし、薄く培養土で覆ったのだが、水やりが面倒だから畑土も少し乗せた。その結果は、二つ目の枝豆と同じ結果となった。
 横着して手抜きしようとすると、こうした失敗をする。
 考えてみれば、自然の状態では種は地表にこぼれ落ち、地表にへばりついた状態で発芽するのである。発芽時に適度な湿り気があれば呼吸が始まって発芽し、同時に根を伸ばして根は水と空気を吸うのである。
 発芽しようとするときに大雨があれば種は流されていくのだし、種の上に通気性の悪い土が被されば窒息するのである。
 これを心して、これからは横着するのを止めねばならぬ。
 たかが種蒔き、されど種蒔き
 今年は、これを身に浸みて思い知らされたところです。
(5月20日追記)
 メロンを発芽させるのもけっこう難しい。ポットに種を埋め込むのが早すぎたのか、品種によっては種が腐ってしまったものもある。蒔き直しをせねばならない品種があった。
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日本の農業はなぜ没落したのか [ファーマー雑記]

 今さらこんなことを言おうたって既に言い尽くされているのであるからして無意味であろうが、西欧文化論から日本の農業を眺めてみると、とても興味深いものがあるから取り上げることとしたい。
 先ずは、西欧文化論の権威者である元東大教授、木村尚三郎氏の著「西欧文明の原像」(昭和49年発刊)から、少々長くなるが抜粋して引用する。なお、本書が発刊された時代はベトナム戦争末期で、今から40年以上前のことであるから、その当時の世相を頭に置いて読んでいただきたい。

 (日本においてもヨーロッパにおいても)いまや国家それ自体が、事実上国内最大の、そして真の経済主体として立ちあらわれており、官界と産業界の密接な連携と一体化、官僚の産業人化と産業人の官僚化は時とともに露となりつつある。いわゆる混合経済体制(古典的資本主義体制と社会主義体制の中間)による国家資本主義の進展がこれであるが、そこではいまや私企業も国家組織のうちに組み込まれ、国家権力は分有している。
 国家はもはや、軍隊組織的構成をとりえず、新たに有機的多元化の原理に立たざるをえない。…一人の支配者に代わって多くの支配者が登場し、しかもその数が刻一刻とふえ、一方では支配者であると同時に、他方では被支配者である関係、網の目が広がりつつあるのが、現代の現代たるゆえんであるといえよう。
 「土離れ」しつつある現代において、一方で土への回帰、農業をあくまでも産業社会の基礎に据えるべき必要性が主張されはじめている。産業社会は人間の個性化と土地の脱個性化を、農業社会は土地の個性化と人間の脱個性化をもたらす。そのかね合いをつけてゆくのはこれからの課題であるが、人はたしかに、大地にむかい、あるいは大地に憩うとき、理屈ぬきで謙虚さと互いの共感と連帯をとりもどす。
 その意味で、いかに産業化が進行しようとも農業的人間類型は捨て去られてはならない。現実の産業社会の発展が、ヨーロッパのばあい、地域主義の漸次的拡大という形をとっているのは、まことに妥当で自然な姿であるといえよう。…
…(ヨーロッパにおいて)現代社会とそれ以前の社会との特徴的な相違の一つであるが、現代社会は相互依存関係の拡充とともに、これまでばらばらであまり関係のなかった諸地域を、広い範囲にわたって互いに結びつけることによって、各人の個性だけではなく、地域の個性をも積極的にきわ立たせるにいたった。
 それはけっして、画一的産業化の進展にともなって、地方・地域の古い体質がめだつようになったということではない。科学技術はたしかに普遍的な性格をもち、たとえば欧米にも日本にも、またアフリカの奥地にも同様な原子力利用の工場建設が可能である。しかしこのように産業社会の普遍的形式がグローバルな規模で整えられれば整えられるほど、あらわとなってくるのが、この形式をささえる実質の相違、すなわち各地方、各地域ごとの自然観と人間観の相違であり、自然と人間、人間と人間の関係についての価値観、世界観が、地方・地域によって、いかにさまざまの豊かなバラエティに富んでいるかということであった。
 この地方的、地域的な個性は、自然的諸条件や言語、生活様式、歴史的慣行などによってささえられ、相互の交流、影響は今後いよいよ活発となるとしても、人間がそれぞれ地上に定住生活ないしは一定地域内生活をつづけるかぎり、消滅することはない。文化はほんらい地方的、地域的な性格のものであり、各地方、各地域はみずからに固有な文化を他との対比において積極的に自覚しつつ協力しあう必要がある。
 このことは、産業化、相互依存化の増大とともに異なる文化と文化の摩擦が大きな問題としてクローズアップされることによって、さいきんようやく強く意識されるにいたった。日本、アジア、アフリカ諸地域、イスラム圏、ヨーロッパ、アメリカなどの地域文化圏の個性・体質、ないしは、さらにそれらの内部の地方的個性をあきらかにすることの重要性が、今日切実な問題となっているゆえんである。
 それと同時に、農業もまた改めて産業社会それ自身によって見なおされるときがくるだろう。それはたんに世界的な食糧不足の状況から、自衛手段として地域ごと、地方ごとの自給率を高めねばならないという問題ではない。農業こそが文化の地方的・地域的個性をささえるかなめであり、農業を捨て、あるいは無視する産業社会は、結局みずからのことばと心を失い、自滅するのではないかという反省である。
 この点でヨーロッパの産業化は、日本やアメリカのあり方とはちがって、つねに農業を基としながらゆっくりすすめられている。いま、そのことの意味をふかく考えなおすべきときがきている。わが国ではつい先ごろまで、「ヨーロッパは遅れている」ということがしきりにいわれていた。それがいかに皮相で傲慢な偏見であったかは、欧米から教えられたにすぎない科学技術の過度の適用と農業への無関心が、一見進歩のようでありながらも、じつは自然破壊を、そしてもっとおそろしいことに人心と人間性の破壊をひきおこし、世界一不安と焦燥にかられた、世界一猜疑心の強い、そして世界一非礼で無口な、見知らぬ他人には「ありがとう」とも「すみません」ともいわない非人間的人間、つまり人でなしをつくりだしてしまったことからも明らかであろう。(引用ここまで)

 この引用文だけを読むと、木村尚三郎氏はヨーロッパの文化をべたぼめし、日本人をけちょんけちょんにけなしているように思ってしまうが、ヨーロッパ文化には実にえげつない部分もあり、ほめられたものではないことも氏は言っておられる。例えば別のブログ記事「文明の根底には略奪文化がある」で引用したものがそうである。
 でも、こと農業に関してはヨーロッパ各国はしっかりした政策を取っており、それによって何よりも農業を基にした誇り高き地域文化を非農業者皆もが共有し、人間性が破壊されることもなく、不安感や焦燥感を抱くこともない、人心が安定した良き地域社会を形成しているのである。
 そこで、日本の農業者は当然のこと、非農業者も皆が大地に目を向け、農業と地域文化は切っても切れない関係にあり、相互に発展もすれば没落もすることをしっかりと肝に銘じたいところである。特に日本は世界一自然に恵まれ、五穀豊穣、豊葦原瑞穂国とうたわれていたとおり、地域地域の特質を生かせば世界有数の農業国となりうる基盤が整っているのであるからして、それは同時に誇り高き地域文化の構築にもつながるものであり、今一度皆で大地に目を向けたいものである。
 40年前に木村尚三郎氏が指摘されたことに対して今から取り組んでも遅きにあらずであろう。
 これは何も難しいことではないと小生は思う。
 その第一歩は、地域で取れた農産物をその地域の人が意識して食べればよいのである。行ったこともない地域の見たこともない農産物は避けることである。いわゆる「地産地消」であり、古い言葉を持ち出せば「身土不二」である。これは地域内で採れる物を食べていれば健康になれる、という食養から発せられた言葉であり、これを実践していけば、やがて地域に愛着が持て、そして地域文化を愛するようになり、そうなれば第二歩、第三歩へと歩を進める策が自然と湧いてこよう。
 地域農業と地域文化の間には密接な関連性があるということを木村尚三郎氏の著「西欧文明の原像」から教えられたところです。
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お米の味も様々でブランド品もピンからキリまで [ファーマー雑記]

 うちには田んぼが3枚あるが米作をしていない。1枚は万年休耕田であり、2枚はそれぞれ隣の田んぼの方に無償栽培管理をお願いしている。
 よって、米は買うしかない。今までは女房がスーパーで買っていた。でも、最近は管理をお願いした方から1袋いただけ、店のお客さん(専業農家)から2袋購入するようになった。他にいただきものが毎年1、2あって、これで1年分がまかなえ、スーパーで買うことがなくなった。
 すると、米の味にけっこうな差があることが分かってきた。
 一番感じたのは、スーパーで買ったものは新米と表記されたものであってもたいして新米らしくないのだが、地元の方からいただいたり買ったりしたものはちゃんと新米の味がするのである。
 ということは、スーパーは偽りの表記をしているかといえば、そうではない。ちゃんと新米を精米して販売しているのであり、それが特定のブランドであれば、当地であれば「ハツシモ」であるが、「ハツシモの新米」であることは間違いない。
 それがどうしてこんなにも味に差が出るのか。
 今年、その原因が分かった。
 先ずは今年地元の方からいただいたり買ったりした「ハツシモ」。いただいたものは新米であっても昨年に比べイマイチの味であった。原因は、稲刈りされた日にちを知っているが、もう刈るの?というほどにあまりにも早すぎたことだ。専業農家さんから買ったものは、昨年とてもおいしかったし今年もとてもおいしいが、これはきちんと栽培管理され肥料過剰にならないように注意されてもいるし、稲刈りの時期も適切で、自家で籾摺りし、ゆっくりと乾燥されているからであろう。
 農協職員からの情報では、おいしい米を作っている農家は自家で籾摺り乾燥し、自主流通させているとのこと。いいかげんに米を作ってる兼業農家は農協の大型籾摺り乾燥機へ持ち込み、持ち込んだ籾に相当する量の玄米を後日手渡されるなり農協に売り渡すこととなって、手渡される米は誰が作った米か分からないものとなるとのこと。
 さて、今年、元農協職員の義理の従兄弟が嘆いていた。昨年までは稲刈り・脱穀した米をある方に籾摺り乾燥をお願いし、おいしい新米が食べられたが、その方が高齢でやめられたがため農協へ依頼するしかなかった。そしたら、新米がおいしくないものになってしまったとのこと。そして、その原因は米そのものにあるのではなく、農協の大型機械は強制乾燥の度が過ぎるから米の味が落ちるとのことであった。稲刈りシーズンは一度に大量に籾が持ち込まれるから、そうせざるを得ないのが実態とのこと。これじゃ、せっかくのブランド品「ハツシモ」がかわいそうだ。
 そこで、もうひとつ分かったことがある。娘には地元で入手したおいしい米を少しずつ精米して何かのついでに送ってやるのだが、あるとき各地のブランド米小袋の詰め合わせを贈答品としていただき、それを送ったのだが、娘曰く「どれもまずかったわよ」であり、なるほど各地の農協で強制乾燥した米だからなんだ、と悟った次第である。
 さて、今、地元の専業農家の方から買った米を食べ始めたのであるが、昨年同様にうまい。でも、その農家の方がおっしゃるには、今年の米は出来すぎて昨年よりちょっと味が落ちているとのこと。小生や女房には分からないが専門家となると微妙な変化まで分かるらしい。
 ところで、当店のすぐ近くで毎年見かけるのであるが、稲刈り後、今時珍しく昔どおりに稲をハサに掛けて自然乾燥されておられる専業農家の方がおられる。この米はきっと飛び切りうまいだろうなあ、と感じた。義理の従兄弟も、そりゃあうまいに決まっとる、と言っていた。
 飛び切りうまいと言えば、2年前に行ってきた昼神温泉の宿の米。仲居さんが自信をもって紹介してくれたが、地元の特約農家の米である。こんなに飛び切りうまい米は、随分前に妹が送ってくれた現地調達の魚沼産コシヒカリ以上であった。この米のおいしさに惹かれて昨年も同じ宿にいったのだが少々がっかりさせられた。だいぶ味が落ちていたからである。でも、うまいことはうまい。よって、今年も行ったのだが、さらに味が落ち、変哲もない味に落ちていたから、来年はもう行かないことにした。
 魚沼産コシヒカリのほうはその後も妹が送ってくれたが、町村合併であらぬ所まで魚沼になり、また、農協の大型機械による強制乾燥のせいかもしれないが、味ががたんと落ちて、今はもう送ってもらっていない。
 これ以外にも、おいしいと評判の米をいただいたりするが、評判のほどではないものが大半である。
 いろいろと見聞きすると、ほんとにおいしい米は、その土地土地に最も適した品種を選び、栽培途中の水管理を適正に行い、有機肥料で栽培し、そして収穫量を抑え気味にする、といった栽培方法を取り、稲刈り後はハサ掛けにして自然乾燥せねばならないようである。そして、籾のまま保管し、必要の都度、脱穀・精米すれば、いつまでも新米の味が楽しめるようである。
 手を加えれば加えるほど、おいしさが増す米である。こうした米を日本人皆が食べられるようになれば、米の需要もグーンと増し、日本の農業も大発展するのではなかろうか。
 総じて経済的に豊かな日本人である。おいしいものであれば多少高くても買って食べるであろう。
 資本主義経済の本質は、付加価値を付けて価格をアップさせ、経済規模を膨らませることにあるのであって、これによって初めて経済が上昇気流に乗り、景気が良くなるのである。低価格競争に邁進するとなれば、それは下降気流に乗ることになるのであって、最後の最後は価格ゼロとなって地面に激突し総破産するしかないのである。
 これは資本主義経済のイロハだと思うのだが、いかなる業界にあっても、皆さん手抜きして楽をし、低価格で目先の売上だけを目指すという、プロ意識欠如の輩ばかりのようである。これではいつまで経っても景気はよくならない。
 こうしたことからも、飛び切りおいしい米を毎日食って景気をよくしたいものだが、そうした職人技の米は供給量が少ない上に需要が高く、全て行き先が固定化されており、新規の消費者の手に渡ることがない。悔しいかなハサ掛けされた稲を指を加えて見ているしかない。
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3.31 冬野菜の収穫が概ね終了 [ファーマー雑記]

 今年はホウレンソウが壊滅し、ネギが若干の不作。ほかは概ね順調であり、鳥害もさほどのことはなかった。
 なお、今年初めて完全無農薬で栽培した。その結果、ハクサイとキャベツはけっこう虫が入ったが、食べるのに特別支障はなかった。
 そして、苗植え付けの野菜は、無起耕で行ったが、問題なかった。
1 ネギ
 昨年同様に4畝栽培。一昨年は夏の多雨で根腐れし、まれにみる不作であったが、昨年も夏にけっこう雨があり、平年より少々出来が悪かった。2月中に大半を収穫したかったが1畝残り、今日大量収穫し、種取り用に1株残して収穫終了。
 なお、自宅前の畑は倉庫の陰になり、生長遅れしたものが10株強残っている。
2 ハクサイ
 概ね順調に成育したが、2月下旬にはアブラムシが沸いたものがけっこうでてきた。また、3月8日には大半の頭の部分が溶けてしまっていた。あまりにしっかりとビニール紐を巻きっぱなしにしたのが良くなかったのであろう。3月22日には一部で花が咲き出し、蕾のものを全部摘み取って収穫終了。
3 ブロッコリー
 順調に収穫できた。3月に入ってから脇芽の玉を順次収穫。3月末でほぼ収穫終了。
4 カリフラワー
 概ね順調に成育し、2月末に収穫終了。
5 大根
 普通種の第1弾、第2弾とも例年より小振りであった。原因は不明なるも、あまりでかいものは使いにくいからちょうど良かった。3月16日で収穫終了。
 ビタミン大根は概ね順調に生育し、3月8日に収穫終了。
6 カブ
 種蒔きの時期はちょうど良かったが、出来の悪いものがけっこう多かった。間引きするに当たり、等間隔を重視し成長ぐあいを無視したのが良くなかったかも。
7 キャベツ
 なんとか順調に成育したが、今年も昨年同様に真冬に途切れあり。今、若干小さな玉だが春キャベツとして大きそうなものから順次収穫中である。
8 小松菜
 自宅前の畑に1畝。種蒔きが前年より早すぎて失敗。大きくなり過ぎた。3月16日に蕾を摘んで処分。
9 菊菜
 少々種蒔きが遅れて成長が遅かったが、十分に事足りた。毎年のことだが、これから先、花が咲くまで摘み続けられる。
10 ホウレンソウ
 第1弾は種が古すぎて発芽せず失敗。第2、3弾は葉先を鳥に突かれて失敗。今季はまるっきり収穫できず、今、第2、3弾に防鳥ネットを掛けてあり、そのうち小さな葉が伸びて収穫できるかも。 

(2014年3月19日の記録)
 今年の冬野菜はネギを除いて順調に育ってくれた。本日、冬野菜の収穫を概ね終えたところである。
1 ネギ
 一昨年より1畝減らしての4畝栽培。夏の多雨で根腐れし、株分れが少ないし、太くもならなかった。こんな年はまれであり、少々不足気味であったが、差し上げる量を減らして調整。種取り用に1株残して数日後に最終収穫。(3月23日実施)
 なお、自宅前の畑は倉庫の陰になり、あまり生長せず。10株強が細々と残っている。
2 ハクサイ2種
 通常のハクサイ:順調に成育し、3月19日に最終収穫。4株中2株は腐りがきていた。
 半結球の長崎白菜:今年、初栽培。3月10日頃で収穫中止。それ以降は、とうだってしまった。味もあまり良くない。1年きりで栽培を止め。
 例年どおり、通常のハクサイを時差蒔きすべきであった。
3 ブロッコリー
 2年目の栽培で、順調に収穫できた。3月16日に脇芽の玉を収穫したところ、多くは開きだしている。まずまず固まっているものを大量に収穫。もう1回は収穫できよう。
 (3月23日、4月1日に収穫。もう一部で花が咲き出した。同日処分。)
4 カリフラワー
 2年目の栽培で、順調に成育し、3月上旬に収穫終了。(3月23日に遅ればせながら1株発見し4月1日に収穫)なお、2品種栽培したが、通常種に軍配が上がる。
5 大根
 第1弾、第2弾とも順調に成育。第2弾の残りが3本。(3月23日収穫し終了)
6 キャベツ
 なんとか順調に成育したが、真冬に途切れあり。今、まだ小さな玉だが春キャベツとして大きそうなものから順次収穫中である。食べきれない。(4月10日:1個パンクしていたのを収穫。)
6-2
 芽キャベツ
 今年初栽培。大した収穫はできず、味も良くない。3月23日に少し収穫したが、まだまだいける。でも、今年限りで来年は止め。
7 小松菜
 自宅前の畑に1畝。種蒔きが早すぎた感がした。残っているものはビックサイズになり、3月16日現在蕾を持ち始めている。3月19日、おふくろがそれを摘んだ。3月23日、ツクシ用に蕾を中心に摘んで終了。
8 菊菜
 第1弾は順調であったが、第2弾は遅すぎた。3月16日現在、第2弾はまだ小さすぎる状態。よって、3月に入ってからは、第1弾の小さな脇芽を摘むしかなく、収穫に苦労する。
 毎年のことだが、これから先、花が咲くまで摘み続けられる。
9 ホウレンソウ
 6、7回に分けて種蒔きしたが、買った種が悪かったようで、うまく育たなかった時が多い。3月19日現在、自宅前の畑に蒔いた1昨年の残り種のものがうまく育ち、食べごろ。それが1/3畝あり、収穫中。(4月6日収穫終了)


(2013年3月24日の記録)
 今年の冬野菜は、11月12月の冷え込みで生長遅れするものがあったものの、概ね順調に育ってくれた。
 ただし、2月頃に鳥害が発生し、品種によっては大きな被害があった。
 なお、本日、冬野菜の最終収穫をしたところである。
1 ネギ
 昨年より1畝減らし、4畝の栽培としたところ、ちょうど良い量であった。種取り用に1株残して3株を最終収穫。なお、自宅前の畑に10株強残っている。
2 ハクサイ
 遅蒔きのハクサイ10株弱を最終収穫したが、いずれも小さな玉で、とうだっているものが多い。鳥害にも遭っており、何とか食べられそうなのは4株しかなかった。
3 ブロッコリー
 脇芽の玉が開ききっているものが多く、どれだけか固まっているものを最終収穫。鳥害に遭ったが、葉っぱだけで済み、食用部は十分に収穫できた感がする。
4 カリフラワー
 既に収穫済み。ブロッコリー同様に鳥害に遭ったが、食用部は被害がなく、まずまずであった。
5 大根
 晩生の大根10本ほどを最終収穫。鳥に齧られたもの1本、虫に穴をあけられたもの2本、表面が変質したもの2本あり、これらはお客様に差し上げられそうにないが、何とか少しはもらってもらいたいものだ。
6 キャベツ
 これは全て春キャベツで、今、少しずつ収穫中である。半分は冬キャベツの苗と思っていたが間違ってしまった。
 なお、鳥害に遭い、葉っぱを随分と食われたが、その後ネットを張り、何とかまともに玉が巻き始めたようだ。ほっとしているところである。
7 小松菜
 自宅前の畑に1畝あるが、概ね収穫できた。残っているものは、蕾を持ち始め、間もなく花が咲くことだろう。
8 菊菜
 これは、少しずつ摘んで食べているが、脇芽がどんどん伸びだし、毎年のことだが、花が咲くまで摘み続けられる。
9 ホウレンソウ
 自宅前の畑に1畝あり、過半を収穫済みだが、残っているものが随分と伸びだした。食べきれない。

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「冬の土用」の期間に畑を寒起こしするといいのだが… [ファーマー雑記]

 1月20日が大寒、1年で一番寒い時期。大寒を挟んで1月17日から2月3日(立春の前日=節分)までが、「冬の土用」にあたる。
 年に4回ある土用は、いずれも「土に用がある時期」である。
 「冬の土用」には、畑の「寒起こし」をせねばならない。
 大地は冷え切っているようで、どっこい害虫が土中に潜り込んで越冬している。この害虫が春以降に地表に出て作物を食い荒らすのである。
 よって、この時期に畑を粗起こししてやると、地中深くまで冷気が入り込み、害虫を凍死させることができる。
 昔は、これを必ずやっていたようだが、農薬の普及とともに行なわなくなった。
 やるとしても、耕運機で行うことになり、これだと土が細かくなって、冷気が地中に入りにくいから、大した効果は期待できない。
 4年前の冬の終わりがけに、おふくろが「大寒のころまでに寒起こしをやっておくとええよ。」と教えてくれたので、その翌年には、空いた畝の「寒起こし」をやったところである。ときに小生63歳。
 して、その効果はと言うと、全く分からない。
 その後「寒起こし」をやったかというと、全くしていない。たった1年で終わってしまったが、残念ながらもう2度とすることはない。
 というのは、「寒起こし」をやった年の3月に、お隣さんの耕運機を初めて借りて、ちょっとだけ畑を耕したところ、ビッチュウを使っての人力に比べて何十分の一の労力でもって、あっという間に耕せてしまった。“こんな楽なことはない!”という経験をしたものだから、もう、この誘惑には絶対勝てっこないのである。
 それまでは、日頃の運動不足を解消しようと、年中全く耕運機のお世話にならず、収穫が終了した畝は、折をみてビッチュウでの畑起こしを少しずつ行っていたが、味を占めてからはドンドン耕運機に頼るようになってしまった。
 ところが、昨年の夏以降は、お隣さんの耕運機を借りるのも止めてしまった。
 これは、自然農法の導入による。本格的な自然農法は無起耕・無肥料であり、雑草の枝葉の地上繁茂と根の地下繁茂でもって野菜との共生を図るというものである。短期間に一筋縄でこれができるものではないが、可能な限り雑草に根を張らせ、それが土壌菌によって自然分解するのを待つというものであるから、一理あり、土を耕すのを最小限にしたいと考えたところである。
 よって、耕運機の出番はなくなり、昨季は収穫が終わった夏野菜も可能な限り地上部を切り取るだけにして冬野菜の苗を植えつけた。もっとも、種蒔きする大根などは今のところどうしても畝作りが必要で、本格的な自然農法はまだまだ取りえない。
 こうして、小生は「寒起こし」を別の意味からも、やらなくなってしまったところである。
 地中の害虫を凍死させるために必要な「寒起こし」ではあるが、小生、今66歳と、体力的にも限界を感ずるようになって、なるべく自然農法に近付け、害虫とも共生するしかなくなってきた。
 昨年の場合、植え付けた苗が株元から食い千切られる被害がけっこうあったし、今、ハクサイの玉の中には小さなイモムシが幾つも入っている。でも、苗は予備苗で対応できるし、ハクサイも葉っぱのほんの一部が食われるだけだから何も問題ない。これでいいじゃないか、と考えるようになった次第。

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2015年の年初めに思う、ファーマー・ファーマシー二足のわらじ [ファーマー雑記]

 少々遅れましたが、あけましておめでとうございます。
 今年も昨年と同様に、「世の中に流されるのではなく、自分で流れを作っていこう」、そんな気持ちで元旦を迎えました。
 といっても、自分一人では大したことができません。皆で協力したり、助けられたりして進める必要があることを痛感しています。
 薬屋稼業をしながら百姓仕事もこなしていく、という二足のわらじを履いてのことですから“二兎を追う者は一兎をも得ず”となってしまう恐れもありますが、“食と健康”は密接不可分な関係にありますから、両道を極めれば“鬼に金棒”となりましょう。
 両方ともコツコツ勉強していけば、いずれは花開き、二足のわらじを履いていてよかったなあ、と思える日がいつかはやってくるのを信じています。

 そこで、今年のファーマーとしての在り方、年頭所感を綴ることとします。
 化成肥料を使わなくなって4年目になり、有機農法が軌道に乗り始めましたので、今度は昨年から一部取り入れ始めた自然農法を一歩二歩進め、雑草の力を借りた楽な方法を模索していきたいと考えています。
 これは、一朝一夕には参らぬものであり、生涯研究となりましょうから、生涯現役をモットーにして、あせらずコツコツ進めていく所存です。
 なお、農薬使用は極力減らすこととし、昨年は幸いにも病害虫の被害が少なく、白ナス(これどうしても4回程度必要)以外はほとんんど使わずに済みました。今年もそうあってほしいと願っているところです。
 ところで昨年の失敗の数々。これを教訓にせねばなりません。列記すれば、①紫ナスが非常に不作(例年そうですが)、②メロンが全滅、③山芋(丸芋)の切り分けた種芋がわずかしか芽吹かなかった、④ハクサイの種が古くて芽吹かず遅蒔きになり、今現在綺麗な玉が巻いていない、⑤ホウレンソウの種が古くて芽吹かず、第2弾はまだ収穫できる大きさになっていない、などなど幾つもありました。
 新たな取り組みとしては、①ニンニクの試験栽培を踏まえて本格栽培に着手した、②サツマイモとメロンの混食(ただしメロンは長雨で全滅)で狭い畑で効率を挙げられる手応えを得た、③ビニールハウス(2坪)を12月に作り、夏野菜苗づくりの準備が出来た、といったところです。
 そして、種芋や苗の無償配布でヤーコンの普及に地道に取り組んできましたが、昨年は2地区で何人かの方が一緒に栽培を始められ、ヤーコンの輪が一気に広がりそうで、うれしいかぎりです。
 さて、今年。須賀前の畑の一部(約30平方メートル)を隣接地の方に家庭菜園として貸していたのですが栽培されなくなり、ここにも作付けできることになりました。全体に畝幅を広く取ったりして自然農法が一段とやりやすくなるのではないかと思っています。 
 こうしたことどもを併せ考えると、今年は素晴らしい年になるような予感がしてきました。そして、何事も前向きにとらえ、楽しくやっていこう!と決意を新たにしたところです。

<2014年元旦の所感もここに残しておきます>
 平成26年が始まりました。今年はどんな年になるやら、いやどんな年にしていこうか。世の中に流されるのではなく、自分で流れを作っていこう、そんな気持ちで元旦を迎えました。
 といっても、自分一人では大したことができません。皆で協力したり、助けられたりして進める必要があることを痛感しています。
 薬屋稼業をしながら百姓仕事もこなしていく、という二足のわらじを履いてのことですから“二兎を追う者は一兎をも得ず”となってしまう恐れもありますが、“食と健康”は密接不可分な関係にありますから、両道を極めれば“鬼に金棒”となりましょう。
 両方ともコツコツ勉強していけば、いずれは花開き、二足のわらじを履いていてよかったなあ、と思える日がいつかはやってくるのを信じて。
 そこで、今年は、ファーマーとしては、化成肥料を使わなくなって3年目になりますが、有機農法を一歩二歩進め、美味しくて健康に良い野菜作りに励もうと考えています。また、ファーマシーとしては、有機野菜の力が健康にどの程度貢献してくれるかを中心に食養生の勉強を深めていこうと考えています。
 どちらも一朝一夕には参らぬものであり、生涯研究となりましょうから、生涯現役をモットーにして、あせらずコツコツ進めていく所存です。
 なお、今年はヤーコン栽培の輪が広がりそうです。岐阜市内でグループで栽培に取り組んでいただける方々が現れ、これが大きく展開されそうな気配もしていますから、将来がとても楽しみです。少々自信のあるヤーコン栽培ですから、全面的に協力させていただこうと考えています。
 今年は何となく良い年になるような感じがしてきました。何事も前向きにとらえ、楽しくやっていこう!と決意を新たにしたところです。

<2013年12月31日ファーマー仕事納め>
 仕事納めとなると、ビッチュウやクワなどを水洗いして泥を落とし、農機具や肥料置き場を整理すべきなのだが、今までやったことがなく、今年も何もせず終わってしまった。
 これではファーマー失格なのだが、いかんせん半商半農生活だから、何かと小忙しく、中途半端に終わってしまう。
 今年1年を振り返ってみると、昨年の繰り返しが大半で、随分と順調に事が運んだ。と言うのは、一昨年までは、おふくろが須賀前の畑にしょっちゅう出かけて施肥や草取りを小まめにしてくれたのだが、昨年は全く出かけなくなったがために、全部小生がせねばならなくなり、たいそう忙しく、また、あらかじめ施肥の予定を立てねばならないなど工程管理にも気も使わねばならなかった。それが2年目ともなると、かなり慣れてスムーズに事が進むようになったのである。
 そして、おふくろが畑に行かなくなったことにより、作付け計画が自分で自由に立てられるようになり、以前はやたらと多く当地特産「徳田ねぎ」を作付けさせられていたのだが、それを減らして他の野菜を栽培できるようになったのは有り難いことだ。
 さて、今年1年間を個々に振り返ってみよう。
 春野菜、夏野菜は、ほぼ順調にいった。失敗は、この何年か連続してのことだが、トマト第2弾、第3弾である。遅植えしたどちらも無収穫になってしまった。来年はもうあきらめるしかない。
 今年初めて栽培したメロンは目標の半分以下の収穫しかなかった。来年は、もう少し多く収穫できるよう栽培法を改めねばならない。
 秋野菜については、ホウレンソウで失敗した。これは、品種を変えねばならぬ。
 芋類については、例年栽培している里芋は大豊作であったが、一方ヤーコン芋は真夏の猛暑で収穫量が激減した。これはやむを得ない。2年目になるサツマイモは期待したより少ししか収穫できなかった。無肥料としたが、まだまだ残留肥料が多かったようだ。そして、初挑戦の丸芋(いちょう芋)は、ほぼ全滅の大失敗。その教訓を生かして来年は成功させよう。
 冬野菜は今のところおおむね順調である。キャベツを例年より早めに通常どおりの栽培にしたところ、農薬噴霧を何度もせねばならなかったが、年内収穫ができ、助かった。新たに採用した半結球のハクサイは、イマイチの感がし、同様に取り組んだ尾張大根はあまり大きくならず、物足りない感がする。なお、ネギは夏の大雨でイマイチ不作となったが必要量は確保できそうだ。
 大まかに以上のとおりであるが、大した台風も来ず、旱魃もなかったから助かった。お天道様に感謝、感謝、感謝である。来年もお天道様によろしくお願いしますと祈ろう。
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2013.9.18 在来の固定種を守るには並々ならぬ苦労がいる [ファーマー雑記]

 本当に美味しい野菜が消えていってしまう時代である。
 本当に美味しいものは在来の固定種である。昔から栽培され、種採りができ、次世代に同じものが採れる。昔はたいていの農家がこうして毎年繰り返し野菜の作付けを行っていた。
 ところが、八百屋さんが淘汰されてスーパーマーケットの時代の到来とともに、本当に美味しいものが市場からだんだん消えていってしまったのである。
 対面販売であれば「これは見た目に悪いが、こうこうこういう調理をすればとっても美味しいよ。今時しか採れないものだから、今日買っていきなよ。」と八百屋さんが教えてくれたものであるが、セルフ販売になると消費者は誰もアドバイスしてくれないから「見た目の良さ」を物差しにして買うようになる。すると、生産者はそうした種を種屋さんから買うしかなくなる。
 種屋さんは種屋さんで、「見た目に良く、均一な品質のものがたくさん採れる」ことを第1にして新品種の開発に専念し、その結果誕生したのが「F1種」(交配種)である。互いのいい点を引っ張り出し、互いの弱点を打ち消すという品種の開発によって、消費者も生産者も納得がいくのである。
 しかし、交配種は無理やり産みだされた品種であるから、次世代がまともに育たなかったり、次世代は均一な品質にならない。何と言っても一番の悪い点は「美味しくない」ことである。「美味しさ」まで加味しようとするのは至難の技であるからだ。それに成功している品種は極めてまれであろう。
 やはり「美味しさ」を追求するとなると、これは在来の固定種に行き着く。どれも見た目に悪いし、大きさは不揃いになる。専業農家にとっては利益が出ないから、誰かこだわりの人がいないと消えてしまう。それを種苗会社でやってくれているのが「野口のタネ」であるが、消えていきそうなローカルなものまでは手が回らない。
 その一例が「八ちゃんナス」である。今日、その種をある方からもらった。
 このナスは、You Tube で生産者(兵庫県姫路市の黒田八郎さん)が詳しく説明されていますから、一度ご覧になることをお勧めします。「八ちゃんナス」で検索すれば、直ぐに見つかるでしょう。どうでもいいことですが、このナスの命名法がとても面白いです。

 さて、これより、表題の「在来種を守るには並々ならぬ苦労がいる」について、少々長くなるが、小生の思いを書くことにする。
 「八ちゃんナス」を生産されておられる黒田さんは「種が少なく、柔らかく、とても美味しい。特に一夜漬けが絶品。」と言っておられるものの、このナスは紫ナスではあるが、色が薄くなるものがあってばらつきがあるし、加えて形も悪くて、とても店頭に並べられるものではない。そうしたことから、ご自身も出荷する気は全く持っておられない。
 しかし、味の評判はとてもいいようで、兵庫の在来種保存会でも「八ちゃんナス」として紹介しておられる。
 そんな素晴らしいナスであるのだが、種採りは今では黒田さんただ一人しか行ってみえない。黒田さんが苗を作り、60軒ほどの方に苗を提供されているだけである。ご本人は皆さんに喜んでもらえるからと喜々として孤軍奮闘されているのだが、黒田さんも60代の方であり、10年、20年経ち、後継者がいないと、あとが続かない。下手をすると、消えてしまうかもしれない。
 小生がいただいた「八ちゃんナス」の種は、広島県にお住まいの家庭菜園をやっておられる方からだから、たぶん黒田さん以外の方が種採りされておられることでしょうが、それとて危うい。
 これは小生が実感している。うちではこのブログで何度も書いているが「白ナス」を毎年種採りして栽培している。このナスは焼きナスにすると絶品で、苗をたくさん作り、2、30軒の方に苗を差し上げている。
 そのブログを見て、「白ナス」の種を分けて欲しいという方が、その交換に「八ちゃんナス」の種を送って下さったのである。
 さて、この「白ナス」も種採りする方は最近まで誰もいらっしゃらなかった。それは、どだい無理だからである。紫ナスの隣に白ナスを植えると交配してしまって、何ともならなくなるからである。幸いうちの畑は近くにナス栽培される方はなく、交配の恐れがないから、たまたま可能なだけである。
 もう20年以上栽培を続けているが、それでも1回交配してしまったことがある。よって、先の黒田さんも毎年4個を種採り用に残されるし、うちも3、4個そうしている。
 しかし、種採りがうちだけだと何かあった時には種採りができず、絶えてしまう恐れがある。そこで、何とか誰か他に種採りをしてくれないかと、あまり期待はできないものの呼びかけをしてきた。
 そしたら、昨年からお一人岐阜市在住の方が種採りを始められたし、遠く埼玉県の方が数年前から種採りされている。しかし、ご両人とも小生より年配の方であり、10年、20年経つと心配になってくる。
 かように、ローカルな在来の固定種を守っていくのは難しいのである。
 しかし、守らねばならない。うちが栽培している「白ナス」は、当面、10年、20年どころか30年、40年(100歳を超える!)と種採りしていく気構えでいるから良いが、それまでに何か方法を考えねばならない。
 今のところ妙案はないが、ネット社会が今以上に進むであろうから、今回、小生が送らせていただいたような方法でもって必要とする方に行き渡るようになるかもしれない。
 また、鹿児島県の一部山間地では紫ナスは栽培されずに「白ナス」が一般化しているとのことであり、その所在を知れば、種を入手するのが容易となろう。(後日追記:うちで栽培しているのは鹿児島産の「白ナス」にほぼ間違いないことが分かり、これは「野口のタネ」で購入できることが判明。)
 加えて、岐阜・愛知辺りの道の駅でまれに見かける「白ナス」であり、これが広まれば、そのルートから種が入手できるかもしれない。
 実は小生のねらい目の一番はこれである。広く普及させるには、広い地域で多く栽培していただくに限るからである。幸いこの「白ナス」は小生の知るところでは、鹿児島、岐阜、愛知、埼玉で栽培が可能であるし、かつ、紫ナスより多収穫であることが多い。よって、薬屋稼業であることを生かし、ある製薬会社にお願いして、うちで作った苗を広い範囲に配布していただくようお願いしている。
 しかし、その苗作りもお隣さん老夫婦のビニールハウスで育苗していただいているのだが、これが間もなく不可能になりそうな気配がし、この難題をいかに克服するか、早急にその対応策を考えねばならなくなってしまった昨今である。
 在来の固定種の保存、普及は、かくも難しいものである。
 誰かバカな御仁がいないことには消えてしまう運命にあるのである。
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2013.7.1 追肥をしたりしなかったりダブったり、弱ったものだ [ファーマー雑記]

 追肥の仕方は、近年、須賀前の畑と自宅前の畑で、やり方が異なる。
 従前は、おふくろが小まめに追肥(少々肥料過剰)し、今年も自宅前の畑がそうだが、おふくろに任せている。
 ところが、おふくろは昨年から寄る年波に勝てず須賀前の畑までは出かけなくなった。今、95歳である。
 よって、須賀前の畑の追肥は小生がやることになった。
 ところが、小生とて間もなく65歳となり、記憶力も落ちた。
 まだ追肥していないと勘違いして同じ箇所にダブって追肥したり、もう追肥したと思い込んで追肥を忘れたりしている。
 弱ったものである。

 そこで、今日、毎月の農業日誌(非公開記事)を見て、施肥状況を拾い出してみた。けっこう面倒な作業である。
 そこで、今後は、適時に追肥が行えるよう、次のような方策を考えた。
 「定植後に畝の両側に棒を刺しておく。追肥をしたら棒を引き抜く。2回追肥を要するものは2本ずつ棒を刺しておく。」
 これでよい。さっそく、明日、棒を刺しておこう。

 ところで、自宅前の畑であるが、家から遠いところはおふくろも追肥をしていないようだ。ここも同様に棒を刺しておこう。おふくろが追肥したのが分かったら棒を引き抜けば良い。そうしよう。
 
(7月2日追記)
 今朝は時間がなかったので、明日の朝に棒を立てることにする。
 ところで、このやり方は過去にやった気がする。昨年か一昨年か忘れたが、過去記事を検索したら昨年10月にやっていた。
 物忘れが激しくなった65歳、参ります。
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